「ドラ泣き」に対する嫌悪感の原因を考える

ドラ泣き。
キモイ。

なぜか。

泣いてくださいと要求しているように聞こえる

泣いても泣かなくても、鑑賞後の感情を指定しているように聞こえてしまう。
そこへの苛立ち。

典型的な邦画系映画のCM構成に対する不快感。

感動している客達の反応(大人なのに泣いちゃいました的なもの)→ドラ泣きさいこー→あなたもドラ泣きしませんか。もしくは、きっとドラ泣きする。
こんな感じのCMが量産されている。
たしかこの映画のCMもこんな感じだった。

映画のキャラのモデリングが気持ちが悪い。

元の「のび太」の姿から離れており、ややリアル方向に寄せている。
不気味の谷に片足突っ込んでいるかのような感覚が気持ち悪い。

STANDBYMEドラえもんというタイトル。

スタンドバイミー、と聞けば洋画の方を連想する人間も少なくない。
その力にあやかろうとしているように感じてしまうタイトルへの忌避感。

山崎貴監督への個人的な私怨。

この人の作品をいくつか拝見したが、私には合わない。という個人的な私怨。
補足しておくと、山崎貴監督自身はこのキャッチコピーに対して否定的だったという話もある。
今はもう、この監督の作品を皮肉るための用語として、一部の層では定着してしまっている。
同情の余地有り。

題材がドラえもんという国民的コンテンツのため、ここまで挙げてきた違和感が必要以上に増幅される。

ドラえもんを知らない日本人はほとんどいない。
そのため、ちょっとしたことでも話題になる。
他の題材であれば、ここまで長くネットスラングとして使用されなかっただろう。

まとめ

以上が私なりに考えた「ドラ泣き」という言葉に対する嫌悪感の原因である。
人によっては他にも色々あるかもしれない。
上記の欠点をむしろ良い方向に捉える人もいるかもしれない。
最後に、あくまでこれは私個人の見解に過ぎないということを付け加えておく。