楽曲におけるパクリ論争

東方風神録のフォールオブフォールは、MOON CHILDのESCAPEという曲に似ている。
MOON CHILDのESCAPEは、安全地帯のブルーに泣いてるに似ている。
ブルーに泣いてるも、くまなく探せば似ている物があるだろう。
必ず。

あるフリーBGMが東方地霊殿の廃獄ララバイに似ていた。
その東方地霊殿の廃獄ララバイはスカボローフェアに似ている。
スカボローフェアも、くまなく探せば似ている物があるだろう。
絶対に。

アイドルマスターの愛の旋律は、Hey!Say!JUMPの瞳のスクリーンに似ている。
Hey!Say!JUMPの瞳のスクリーンは、山田優のREAL YOUに似ている。
REAL YOUも、くまなく探せば似ている物があるだろう。
断言する。

なぜなら、音楽という物はもうすでに、掘りつくされてしまっている。
西洋機能和声を中心としたポピュラー音楽の基盤は、19世紀の時点でほぼ完成しており、現代で新たに発見された技法は極めて少ない。
20世紀で無調、十二音技法、セリー音楽などといったものが現れたが、これらは、現代の一般的な音楽業界において、ほとんど力を持たない。
そのような技法で作られた楽曲は一般的には認知されていない。

上記の音楽理論の話がパクリの話とどう繋がるか?
人間が聞いて「気持ちがいい」と感じる音列には限りがある。
そのため、数百年間一切被っていない良質なメロディなどほぼ存在しないだろう。
確実に、どこかが部分的に一致している。
意図せずにパクってしまう。

ではパクリを許せというのか?
(一応)作曲家として、そう言いたい気分がある。
被るんだからしょうがないじゃん。
だが世間はそんなこと知らない。
音楽理論なんて知らないし、それを元にメロディを作る手法も知らない。
だから、自分が聞いたことがある曲の範囲内で似ている曲を見つけた場合、反射的にパクリ認定して叩いてしまう。
曲全体がまるっきり一緒だとか、あまりにも露骨にパクっている曲の数が多ければ、それは意図的なものかもしれません。
でも、それは他の作曲家にも言えます。
たまたま、その人が「パクリ元探し」の標的になっているだけで、無名の作曲家もパクってます。無意識に。

なんなら、コード進行が同じっていうだけでパクリ認定している人もいます。
そんなんでパクリ扱いされたらたまったもんじゃないです。
日本でカノン進行、王道進行、Just Two of Us進行。
これらで作られた曲がいくつあると思っているんでしょうか。
アーメンブレイク。
このサンプルが使用された楽曲は、世界中にどれほどあるのでしょうか。
じゃあ何が言いたいかって言うと、楽曲の類似性に関して深く突っ込むのはやめようっていう話。
パクリっぽくても、「あれと似てるね。」ですませて、そのミュージシャンを叩きまくるのはやめましょう。

冒頭にあげた曲の中で、愛の旋律と瞳のスクリーンの類似性は問題になりました。
メロディーだけではなく歌詞も似ていたという大きな理由もありますが、自分の知っている範囲で被っているだけなのに、過剰に叩く人々が非常に多く見受けられました。
その後、瞳のスクリーンがREAL YOUに似ていると判明した時、この情報が類似性の論争に使用されている所は、ほとんど見ませんでした。
つまり、そういう事です。

最後に、偶然の一致と故意のパクリをどう区別するか。
不可能です。
岩崎宏美の聖母たちのララバイと映画ファイナル・カウントダウンの劇伴(BGM) Mr. and Mrs. Tidemanを例にします。
当時のJPOPがパクリまみれなのは周知の事実ですが、日本人が洋画の劇伴からパクったのを正式に認めたという例です。
これはよく判明したなというくらい巧妙でした。
どのようないきさつで原曲の作曲者に伝わったのかは知りません。
公開日時に2年程度しか差がない(映画1980、聖母1982)とはいえ、洋画の劇伴と接続出来る人なんてほとんどいないと思います。
これは原曲の作曲者がかなり強く抗議したため対応した、というケースですが、おそらくバレてないケースの方がはるかに多いでしょう。
これも偶然の一致だったと言い張り続けていれば、盗作として扱われなかった可能性すらあります。
そして、当然これにも冒頭の問題が適用されます。
「Mr. and Mrs. Tidemanも見つけられていないだけで探せば何かと類似してるんじゃないのか。」
誰にもわかりません。

どう着地させるか迷いました。
正直、音楽理論を分かっていない人に完全に理解してもらうのは無理です。
でも世の作曲家達がパクリ認定されて叩かれているのを見るたびに、「パクられ元の曲もあれに似てるんだよなあ……」って心の中で思ってます。