西洋哲学、ギリシャ哲学、東洋哲学についての個人的な印象

西洋哲学はソクラテス以降も、特に中世以降はキリスト教神学と事実上一体化していた時期が長く、デカルトの神の存在証明やカントの道徳神学など、神を議論の前提や結論として必要とする構造が繰り返し出てくる。
これは哲学というより神学の補強作業に近い部分もある。
そのため、前提となっているキリスト教の知識が無ければ内容を正確に読み解くのは難しい。
キリスト教圏外の人間が西洋哲学について語っている姿はどうしても滑稽に映ってしまう。


ただし、ギリシャ哲学は例外である。
ソクラテス以前の自然哲学者たちは神話的説明を排除して自然現象を説明しようとしていたし、エピクロスやデモクリトスは原子論的な、ほとんど宗教を必要としない世界観を持っていた。


東洋哲学
仏教や道家は神という概念自体が中心にない。
道家は「道」という概念を持つが、これは人格神とは全く異なる。
仏教に至っては、神の存在は悟りとは無関係という立場をとっている。
これらはそもそも神の有無は重要ではないという姿勢の表れだ。


私自身としては、神は世界に介入してこないのであれば全く関係がない存在だと捉えている。
神が世界に介入しないという前提を置いた瞬間に、神の存在は哲学的に検討する必要がある問題ではなく、単に未検証の仮説の一つに過ぎなくなる。
だから考えるだけ無駄。
結論として、私にはギリシャ哲学や東洋哲学の方が合っているようだ。